まず先に。
今回のブログは少し過激な写真があります。
読んでくださる方は、心構えを。
プノンペンの街中にある、トゥールスレーン博物館。

見ての通りここは元々中学校だったところ。
しかし、校庭であったであろうはずのところに、あるのは墓。

ここはカンボジアの虐殺の歴史を語るところ。
郊外にあるのではなく、変わらない街の中に佇む、無機質な建物。
歩いてここまで来て、外からこの建物を見て、まず鳥肌が立った。
すごいところに来てしまった。
そう思った。外から見るだけで、その建物の異様さがわかる。
中にあるのは4棟の建物。
それは日本にある学校と大して変わらないつくりで、一見すれば学びの舎。
ここはポル・ポト政権時代、監獄として利用された建物。
拷問器具やおびただしい数の入獄前、拷問、そして処刑後の写真が展示されている。
1975年からポル・ポトによる虐殺は始まった。
それまでのロル・ノン政権を倒し、ポル・ポトが政権を執った。
反政権側の処刑に始まり、人々の強制労働、技術者、教師の処刑から、市民、子どもまでを処刑。
1975年から1979年の4年間で、カンボジアの人口の3分の1が虐殺されたという。
30年前の話。
オレがカンボジアで出会った人にも、この時代生きていた人は多くいるだろう。
1979年ベトナム軍がプノンペンに侵攻。
この学校では、看守達が残りの捕らえられた人々を殺し、逃げて行ったという。
ベトナム軍がここに入った時、拷問・処刑された何人もの遺体が放置されていたという。
生存者は6人。
教室にあるのは鉄がむき出しのベッドと悲惨な写真。
ベトナム軍が入った時に撮影されたときのものらしい。

人が殺された状態と、同じ状態にある室内。
写真と同じだ。
床のシミは血だろうか。
入る教室、入る教室、同じように、ベッドと写真がある。
拷問に使用された手枷、足枷、そして、棍棒だろうか。
1つ1つの教室はほとんど変わりばえしない。
それでも僕はできるだけたくさんの教室に入った。
僕にはどこも同じように見えても、中にいた人にとっては、一つ一つが最後の部屋。
ここで人が死んだ。

処刑された人の入獄時の写真がいくつもある。
本当に多くある。
後ろ手に手枷をされたまま写真を撮られたであろう人、赤子を連れたままの母親、そして拷問され殺された後の悲惨な遺体の写真。
なぜこんなに殺されたのか。
わからない。
まったくもって理解ができない。見当もつかない。
例えば、ヒトラーのユダヤ人虐殺。
ヒトラーを擁護するつもりは毛頭ないけど、彼はドイツ人で、殺された多くはユダヤ人。
人種が違う。
虐殺や戦争には、人種や宗教の違いということが多い。
しかし、ポル・ポトの場合、同じカンボジア・クメール人。
彼も他の市民と変わらなかったはず。
そして、ポル・ポトの命令を受けて、殺した人も変わらぬ同じ人だったはず。

頭蓋骨でできたカンボジア、血の川と湖の地図。
この博物館には殺された遺体が放置されていたところの、おびただしい数の遺体の山の写真や頭蓋骨もある。
実際に使用された拷問器具。
縛れたまま、水がめに頭から入れられたという、その水がめ。
両手を手枷に縛られ、水につけられたという装置のようなものがあった。
そこで手枷に腕を載せてみた。
何かを感じるわけではない。
それでも同じようにここに手を載せた人は、そのまま息絶えた。
トゥールスレーン博物館。
ここはものすごい雰囲気を持っている。
僕は考えすぎたのか、空気に当てられたのか、本当にもう勘弁、と疲れてしまった。
すごいところに来てしまった。
その次に行ったのは、キリングフィールド。
名前からしてすごいところだ。「殺人現場」とでも訳せる。
トゥールスレーン博物館で囚人となった人は、このキリングフィールドに連れていかれ、棍棒で殺されたという。
連れこられて、処刑された人は2万人。2000人は子どもだ。

キリングフィールド自体は、今は綺麗な公園に見えるところ。
緑があって、市街から少し離れた、静かなところ。
それでもここは、墓、というか命が消されたところ。
碑がある。
中にはいくつもの頭蓋骨。

ものすごい数の頭蓋骨、そして遺品。
本当に、一人一人が生きていた人なのか疑問に思ってしまった。
そこにいるのは人だったはず。
今僕は、ものすごい数の人を見ているはず。
それでもそこにあったのは頭蓋骨。
世界中から届いている供え物。千羽鶴。
線香と菊の花をあげた。

歩いてみると、当たりには窪みがたくさんあるのがわかる。
ここに遺体の山があったんじゃないか。そう思ってしまう。
公園のようになっていても看板がいくつも立てられている。

ここは赤ん坊が足を持たれ木に打ち付けられ殺されたところ。
キリングフィールドには、いまだに掘り起こされていない人骨、遺品がたくさんある。
ところどころに、入ってはいけないように柵をしてるところも多い。
服が山積みになって展示されていたりする。

白いのは人骨だろう。
本当にわからない。
物事を片側からしかみれないのはよくないと考えている。
多面的に視線を変えて見てみることが大事だと思っている。
だから、こういうことも、虐殺した側の気持ちになって、少し考えてみようと思った。
言い訳になるはずはなくても、なにか少しでも理由があるのかもしれない、と思っていた。
しかし、ここは本当にわからない。
まったくもって理解できないんだ。
少し奥に入ると、子どもが金網越しに声を掛けてきた。
「こんにちは。どこから来たの?名前は?」
英語だ。
ガイドをしてお金を欲しがるのだろう、とわかったけど、それでもいい気がして話してみた。
色々話を聞いた。
「ここは爆弾で窪みができたんだ。だから今は池になってる。」
「この木にはギザギザしてるトゲがあるだろう?これで人の首を切ったんだ。」
説明してくれた彼はきっと僕より年が若い。
勉強したのか、教えてもらったのか、流暢に英語でキリングフィールドのことを話す。
写真を撮らせて?と聞くと、4人の子ども達が
「ワン、ツー、スリー、スマイル」
といって撮らせてくれる。
そして、彼らは最後に
「僕達はお金がないんだ。学校に行きたくても行けない。だから少しだけお金をくれない?」
と言って、4人でお願いをしてきた。
初めてカンボジアの貧困というものを目の当たりにした。
それでも彼らは悪い人間ではない。
4人に、5000リエルずつあげた。
合計でも日本円にして500円しない。
ペットボトルの水もあげた。

金網ひとつがとても大きく見えた。
この金網の差はなんだろう。
オレは生まれてから、物乞いをしたことはない。
人間は不平等だ。
金網沿いに、藁葺きの小さな家があった。
過去の虐殺現場で、今を生きる人がいる。
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genre : 旅行