ラオスのデット島からまたメコン川を渡り、そのまま南へ行くと、すぐカンボジアとの国境。
30分ぐらい?
ラオスのノーン・ノックキヤンという国境から、カンボジアのトラピアンクリルという国境へ渡った。
でもバスがいいものだったからなのか、乗務員が入出国管理は全部やってくれた。
入国カードとカンボジアのビザ申請書を渡されて記入し、ビザ代と写真とパスポートを一緒に渡して、バスの中で待つだけ。
するとカンボジアビザが貼られたパスポートが返ってきて、するっと入国。
一度もバスを降りずに越えた国境なんて初めてなんじゃないかな。
カンボジアは東南アジアでも今は少ない、ビザがいる国です。
ビザ代は、全部込みこみでやってくれたからなのか、日曜だったからなのか、聞いてたのより高く取られた気がする。
4カ国目・カンボジア入国。
この日は5月23日で、ちょうど旅に出て1ヶ月でした。
バスに乗りっぱなしで入国したからあんまり国が変わったって感じはなかったけど、だんだん景色が変わってくる。

ラオスとの国境付近、カンボジア北部ではまだなにもない、荒野や原っぱ。
途中からいくつか街を見かけるようになると、ラオスとの違いが見えてくる。
まず思ったことが、街が汚い。
ゴミをその辺に捨てまくっていて、ゴミが散乱していることが多い。
家の前に堀があり、その堀にゴミをそのまま捨ててるみたい。
その堀の上に橋がかかっていて、それで道路と玄関がつながっているみたい。
休憩所についてバスを降りてやっと国が変わったイメージが湧いた。
また言葉が変わった。

これは休憩所での写真。
じゃあオレもたまには真面目な話を。
ゴミが多いのはきっと見てわかるだろう。
この写真を見てどう思うだろうか。
かわいそう、と思うかもしれない。
なぜ、かわいそう、と思うのか。
それは、貧しそうでゴミの多い、安全でないところに暮らしているだろうから。綺麗な水も飲めないかもしれないし、できることなら助けてやりたい。
かわいそう、と思ってはいけない、と思うかもしれない。
なぜ、かわいそうと思ってはいけない、と思うか。
それは、貧しくったって、彼女達は楽しそうに遊んでいるじゃないか。貧しくても暮らしが好きかもしれない。僕らが先進国の整えられた環境にいるから、かわいそうと思うのはただの上からの目線じゃないか。
どんな考え方をしようと、それは間違いではないと思います。
カンボジアという国は、確かに貧しい国です。
内戦、虐殺、貧困、地雷、といったイメージがあるかもしれません。
それは、事実、現実。
例えば、日本で耳にするのは、「カンボジアの子ども達のために学校をつくろう」というボランティア。
僕は正直な話、こういったボランティアにはあまり快くのれません。
カンボジアでは貧しくて子ども達が学校に行けていない、だから募金を募る。
そういった話は聞きます。
学校をたくさんつくっているが、実際は教師の数がいなくて、機能せずに廃墟と化している。
こういった話も聞いたことがあります。
どちらも事実でしょう。
ボランティアに快くのれないというのは、自分はボランティアをする対象の知識がないから。
それがきちんと使われているのか知らずに、軽い気持ちでほいほい援助をすると、意味のないものが生まれることになる。
単に言うなれば、ボランティアをするならば、最後まで面倒を見なければならない、と思っているのです。
果たして、そこにそれが本当に必要なのか、援助をして果たして本当に機能するのか、機能した後に、それはそこにとって意味のありえるものになったのか。
簡単に、貧しいから援助をする、それでは意味はないだろうし、逆効果になりえることもあります。
援助をされ続け、援助に頼りきりになると自立はできなくなる。
でもそうなると、裏を返したように、
ボランティアなんて実際意味なかったりもするんだろ?
植林だって、植えたら終わりでは枯れてしまう。
世話をし、育てるのならば切るものは切らなければいけない。
それじゃあただの偽善じゃないか、結局自分がやっていて気持ちいいだけじゃないのか?
なんていう人もでてくる。
例えば、それが偽善であっても、腹の内が黒くかったとしても、それでも援助が善い事につながるのであれば、それは偽善でもなんでもいいんじゃないでしょうか。
貧しい国々では援助を必要としていることが多く、ボランティアが必要な国が多いのもまた事実です。
偽善どうこうではありません。
ボランティアは必要です。
何を言いたいのか、それは僕のこの旅の一つのテーマでもありますが、「知りたい」ということ。
かわいそうと思う。ボランティアをする。
かわいそうと思ってはいけないと思う。ボランティアをしない。
こう大きく分けて書いてしまうと語弊がありますが、双方に言えるのは、現実の知識がない。
こういったことに、情で動いてしまうと、前々のこと後々のことが見れていないのに、動いてしまうことになる。
自分ではなく、対象が大きなこととなれば、それは客観的に、現実的に見なければならない。
僕が知りたいのは、ボランティアをしていいのか、するべきでないのか、ということのもっと前の、「果たしてそこはどういうところなのか」、ということ。
現実を知りたいということ。
本やネットの、他者からの「情報」としての知識ではなく、「経験」としての知識を身につけたい、と思って旅に出ました。
結局お前も、自分から金がなくなるのが嫌なんだろ?自分で動くのがめんどうだから、そんな言い訳してボランティアしないんだろ?
なんて言われるかもしれません。
正直、自分だってよくわかりません。
色々考えてることはあるけど、でもひょっとしたら脚色して動いてるのかもしれません。
あの写真の現実を見たとき、オレだってまず、「かわいそう」と思いました。
そう思ったのは、オレが先進国という、上にいる人間だから。
先進国の人間ならば、まず、上にいる、ということを自覚しなければいけないでしょう。
社会的、衛生的、な面で上にいることはいわずもがな。
人間的、精神的に上かどうかは、わかりません。
そして、「かわいそうと思うべきではない」ともやはり思いました。
彼女達は、上を知らない。オレも知らなければ、きっとかわいそうと思うことはなかっただろうから。と。
なんと思おうと、ただオレは、その現実を見ることができました。
その経験が、今後きっとオレを動かしていくのでしょう。
はー、頭使うと疲れますね。
さてさて、ラオスを出てバスが向かうのは、カンボジアの首都プノンペン。
デット島を出てプノンペンまで12時間。着いたのが20:00。
カンボジアって、東南アジアの中で一番治安の悪い国、みたいなイメージがあって、結構びびって入ったから、バスターミナルに夜に降ろされて、ビクビク。
首都プノンペンとアンコールワットの街シェムリアップぐらいしか、まだ観光客は入れるレベルになく、内戦の名残でまだ銃が街に出回ってる、と聞いてて怖々。
ターミナルが街の中心地に近いところにあったのが幸いで、その後、なんとか自力でゲストハウスまで歩いて辿り着きました。
歩いてみると、思ったほど治安が悪そうにも見えない。
着いたゲストハウスは、キャピトルゲストハウス、というところ!!
ここは老舗ゲストハウスで、カンボジアを通るバックパッカーなら知らないものはいない、とまで言われる、定番中の定番。
あんましそういうところ好きじゃないんだけど、たまにはそういうのもいいかなと思って、チェックイン!!
治安悪いって言われてたから知名度あるとこなら大丈夫かなと思って、他の宿見ないで決めたんだけど・・・。

プノンペンの街はあまり観光客向けではないかもしれない!!
というのも、見るところはそんなにないんですね。
ただ、虐殺の歴史を見る、強烈なものがあります。
プノンペンにはそれを見にくるのが目的。
それは次回のブログで。
しっかしまー、カンボジアのバイタクは本当にしつこい。
これには嫌んなった。
キャピトルは有名なゲストハウスだからか、たくさんバイタクがたまってて、併設のレストランで飯食ってるときも、ちょっと散歩するだけでも、付きまとってくる。
もううんざり。
夜になれば、宿に戻ろうとしてるだけで、
「lady!!!オンナオンナ!!!」
って何人もが毎日声かけてくる。
もう満を持して、
「I like BOY!!!!」
って恐ろしく満面の笑みで言ってやろうかと思ったよ。
boyってのがまた一段とやばいよね。
「I like・・・」まで出たよ。
でもそれで別のところに連れて行かれたら、それもそれで恐ろしい・・・。

あと、プノンペンというのは「ペン夫人の丘」という意味らしいです。
ペン夫人が川で洗濯をしていたら、どんぶらこどんぶらこ、と仏像が流れてきて、丘に置いたそうな。
めでたしめでたし。
その丘が、ワットプノンとして寺院になっているらしんだけど、行こうとしたら雨が降ってきたので、これは行くべきではないなと悟り、行きませんでした。
上の写真はその挫折した現場から、ワットプノンです。
あと王宮とかセントラルマーケットとかあるけど、そんなにぱっとしませんでした!
おしまい!!!

バスで見つけた、PUMAとCHANELのまさかのコラボ。
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