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IMPACT・サラエヴォ

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鳩がやべぇよサラエヴォ。

こりゃ子供泣くぞ。







ボスニア・ヘルツェゴヴィナといってもあまりパッと来ない人が多いかもしれないませんね。

でもサラエヴォって言ったらなんか聞いたことあるんじゃないでしょうか?




絶対歴史で習ってるはず!!!

ヨーロッパの火薬庫とか知ってるでしょ?

バルカン半島とか!!



ここはまさに歴史の教科書を圧縮したようなところ。

深い歴史、戦争の傷、異文化。






それではまず、今のサラエヴォについて!!


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もうこの絵を見ただけで結構オレは鳥肌だったんだよね。



手前に見えるのが、キリスト教の教会で、奥の白いのがイスラム教のモスク。

塔が二つ並んでいるのを見るなんて、本当世界でも数少ないよ。

例えばイスラエルもそう。




ここは大方がイスラムの国。

オスマン・トルコ帝国がここまで支配して、その帝国の端っこだからヨーロッパのキリスト文化とトルコのイスラムが混ざっているんですね。



ガイドには、「とてもオリエンタルな雰囲気がある。」と書いてあったんですね。

でもオレは「オリエンタルな雰囲気ってなんだよ!!!wよくわかんねぇよ!!!wイメージしずらいわ!!!」と思ってたんですね。



で、行ってみてわかった。





「こりゃ・・・オリエンタルだ・・・。」


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なんだか日本みたいな雰囲気あるよね。


ここはバシチャルシャという、街の中心。

元々は職人街らしいです。



なんだかここの雰囲気はとても好き。

やっぱ自然と日本を感じたのかね。

木でできてる家の温かみですね。



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本当日本みたい。

なんで珍しくこんな家が多いのかはちょっとわかりません。

ちなみに日本の家に木が多いのは、地震が多く、大黒柱が必要だからです。




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ヨーロッパ系の人がこうやってスカーフで頭を包んでいるのは始めて見たかもね。


イスラムの国といっても、そんなに厳しい国ではありません。

今はこうして女性は髪を隠したりしますが、これは近世の戦争時から、民族を意識するようになったからだそう。


普通に酒は売られているし、豚肉もあります。

ここのイスラム教徒は酒は飲んでも、豚肉は食べない人が多いそう。
豚肉なくても生きてけるけど、酒なきゃ生きていけないもんね。




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この国旗は98年の長野オリンピック開会式で初めて公開されたのは前にも言いましたね。

好きです。


街は思ったよりも発展してる。

ちょっと前まで内戦があった国だから廃れているようなイメージを持ちがちだけど、全然そんなことはない。

そりゃヨーロッパに比べれば見劣りはするけど、新市街なんかはもう綺麗なヨーロッパ。




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青空市場にいたおばちゃんとおっちゃん。

そろそろ英語が通じなくなるかな、と思ってたけどそんなに心配するほどでもなかった。

ただやっぱり通じにくくはなってきてる。


ここの人が使っているのは、新しい言語「ボスニア語」と、セルビア語、クロアチア語。

でも、たぶん関西弁と標準語よりも近いと思う。




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どこの世界にも悪がきはいるんです。

右の路面電車の連結部分に悪がきが2人乗っていますね。





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ここだけ見ると、ここがヨーロッパだと疑ってしまう。思いっきり中東を思い出す。

ひっさしぶりのモスクです。


旗の三日月と星はイスラムの紋章。緑もイスラムの色。

日本や欧米の医療機関は「赤十字」ですが、イスラム国では「赤三日月」になります。


食べ物も、トルコっぽいものが多かった。










それではここから少しづつ歴史をさかのぼりながら見ていきましょう。



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全然歴史感じないね。

というのも、最近あったことだから。

ここはHoliday Innというホテル。


なんで観光スポットかというと、ここは内戦中でも営業を続けたというホテル。


そして、ここは戦場の最前線


当時、世界中のジャーナリストがここに集まって、起こっていることを世界へ発信していたという場所。



この戦争に関しては、前回のブログにできるだけわかりやすく解説したのでそちらを。



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路面電車で行った、ちょっと中心から離れたところ。

先ほどのHoliday Innから続くこの通りは「スナイパー通り」と呼ばれるストリート。

そのネーミングからちょっと想像できるかもしれません。



ここは内戦の最前線であり、動くものは全て射殺されたという通り。

建物にはセルビア軍のスナイパーが潜んでいて、人だろうと猫だろうと撃たれたという。



周囲の建物は少し年季が入っているので、間違いなく当時からあるものでしょう。

どうみても住居で、人が住んでいたはずなのに、わずか15年程前にそういうことがあったとは信じられない。



実際、現在でも、ボスニア・ヘルツェゴヴィナには「セルビア人共和国」と「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」という見えない境界があります。

この写真の右には川と橋があり、境界はその傍にあります。

当時、その境界を移動する人物を射殺したのでしょう。




曖昧な記憶だけど昔にテレビで、戦場の映像を見た覚えがあります。

その映像は、カップルが銃撃戦になっている橋を、向こう岸へ命がけで渡ろうとしていた映像。

小さい頃に見たけど、なにかすごいインパクトがあった。




その橋はそういえばここだったかもしれない。

そのカップルは渡ることができず、橋の途中で抱き合って尽きていました。




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古い建物は今でも銃痕が残っています。

別に郊外ではなく、街の中心に堂々と残っている。


今、街を歩いていても危険を感じることはないのに、なんとも不思議な感覚。


この街を歩いている人、宿のおじさんも、その辺でキャイキャイしてるお姉さんも、ほとんどがその戦争を経験している人。






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こちらは1984年のサラエヴォ冬季オリンピックの会場。

今でもこのオリンピックのマークを街中で見かけることがあります。


そして、そのグラウンドがこちら。



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ここがオリンピックのグラウンド。

95年まで続いた内戦で死者が20万を越え、ヨーロッパでは2つの世界大戦の次に最悪の戦争だったこの内戦。


墓地が足りなくなり、このグラウンドを墓地にしたということ。

当時、埋葬は朝か夕方に行われたらしい。



オリンピックは平和の祭典っていうのにね。






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左の奥に一面白いものが見えますね。

これも全て墓。

黒いのはキリスト教徒、白いのはイスラム教徒の墓。


画像は前回のブログに出したので、そちらを参照で。





そして、この墓地に行くまで僕はこういう草むらを通っていますが、みなさん、やめましょう!!


この国ではまだ地雷が残っています。

なので、舗装された道しか歩くべきではないのです。


オレもこの道を行くにあたって、踏みならされた場所を歩きました。

いや、やめろって話なんだけど。










さらに、時代をさかのぼります。

95年の内戦とは関係ないもの。




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さあ!!

ひょっとしたらこの橋をテレビなりで見たことある人が多いかもしれない!!!



ここが「サラエヴォの銃声」。

第一次世界大戦が始まった場所。

世界が巻き込まれた場所。


通称プリンツィップ橋。



オーストリアのハプスブルク家がこの地域を支配した時に、その皇太子夫妻がここでパレードをしました。

でもハプスブルク家の支配に反対する人がいました。

その反対する人間の1人、プリンツィップ青年。

彼がパレード中に皇太子夫妻を射殺しました。



その射殺された場所がここ。




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橋自体はなんら普通の橋。

おそらく何度か改修されている感じ。


ここで歴史が動いたんですね。

ここから世界が巻き込まれることになります。




青年プリンツィップはセルビア人。

そのことからオーストリアがセルビアを敵国とし、戦争がはじまる。

その後、「じゃあうちはオーストリアにつく」「セルビアに味方・・・」というように、世界がこの戦いに巻き込まれていきます。


被害はほぼないけど、日本も参加しているのは有名な話。













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サラエヴォにある、平和の日。

ずっと燃え続けているそう。










さあ、サラエヴォはこんな感じです。


内戦のことは前回のブログで書いたので、興味がある人はそちらを。



なにやら暗いことばかり書いていたけど、今のサラエヴォという街は活気がある街。

色々なことを考えさせられたけど、街を歩いている時はオレは楽しかったです。



やっぱ異文化が混ざっている街というのはとても魅力がある。

イスラエルもそうだったし、独特の雰囲気がある。

これは日本ではまず間違いなく感じることができない空気。




オレはこの街が気に入って、予定よりも長くいました。

そして、イスラム教徒が多いからか、やっぱ人が優しかったような・・・?






とにかく!!

どんな歴史があろうとも、今でもその上に人は暮らしていました。


暗い過去があったにもかかわらず、街に活気があって、子供は遊んでいて、街は生きていました。


なんとも不思議な街サラエヴォ。


またいつか、もっと色々なことを学んで、来たいと思います。















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サラエヴォはオレの旅ランキングでも結構な上位!!
珍しいとは言われるんだけどね。

一言:アフリカ大陸北西端からスペイン最南端へ・・・。
    さようならアフリカ大陸。お久しぶりユーラシア大陸!!!
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墓標の国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナへ

モンテネグロから日帰りでドゥブロヴニクへ戻り、そこで大学の友人関口とはお別れ。

「次は日本で」と別れたオレ達は、リアル現在地ではジブラルタル海峡を隔てたモロッコとスペインにいます。









そういったわけで、オレが目指すはボスニア・ヘルツェゴヴィナという国。


こちらも旧ユーゴスラヴィアの国。


そして、ヨーロッパの2つの世界大戦の次に多くの死者を出したボスニア紛争の戦地。








ドゥブロヴニクから、向かったバスでは、なんと息子がマドンナのDJをしているという人のお父さん!!

お父さん!!バックパッカーなんかやってていいんですか!!!


とても優しい、はじめて見た紳士的なイギリス人でした。







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クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナの国境。

左がボスニア・ヘルツェゴヴィナの国旗でこれまた好きです。


これは新しい国旗で、98年冬季長野オリンピックの開会式ではじめて公開されました。



国旗はEUを意識したもので、黄色の三角形は国土を表しています。






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ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入ると、結構眺めがいい。


川と山と街並みが綺麗にまざっていて、絵になるような風景。

そして、なんとも特徴的なのは、やはりモスクがあること。



そう。ボスニア・ヘルツェゴヴィナはイスラムの国。



といっても、現在の民族構成は多い順にムスリム人とセルビア人とクロアチア人。


ただこの<民族>というのもひっじょーに難しく、特にボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、どれにも属さない人も多いのです。









バスで景色を眺めて、モスクを眺め、懐かしいなーと思っていると、白いものが一面にあることに気づきます。



白い墓標はムスリムのもの。

バスから見ていて、本当にモスクとその下にお墓が多いことに気づきました。
















それではそのボスニア・ヘルツェゴヴィナについて解説。




まず、なんで、こんな色んな民族がいるのか。




ユーゴスラヴィアとは、<南スラヴ人の国>という意味のように、スラヴ系の人々が昔、ここに移住してきたのがはじまり。

そして、その南スラヴ人というくくりから、クロアチア人やセルビア人といったような民族が生まれた。

ちなみにクロアチア人とセルビア人の違いは信仰する宗教の違いのみ。


そして、ボスニア・ヘルツェゴヴィナには7世紀には2つの民族がすでに混在していました。



その後、オスマントルコ帝国がちょうどこの辺りまで領土を拡大。

すると、それまでセルビア正教(=セルビア人)、カトリック(=クロアチア人)を信仰していたしていた人々が、イスラム教に改宗。



ここで、イスラム教徒のムスリム人という民族が生まれます。








色々な民族がいれど、このボスニア・ヘルツェゴヴィナ地方では、異なる民族同士の結婚が珍しくありませんでした。



特にユーゴスラヴィアという国が生まれ、民族の壁が薄く、様々な民族の血を持つ人々が生まれます。


すると生まれた新しい民族が、どの民族でもない「ユーゴスラヴィア人」という民族。







ユーゴ崩壊までは、セルビア人・クロアチア人・ムスリム人が主要な民族。




そして、ボスニア・ヘルツェゴヴィナも他の旧ユーゴ諸国と同様に、崩壊と共に独立を宣言。


すると、ユーゴを動かしていたセルビア人は独立に反対。

ユーゴへの残留を主張。


しかし、クロアチア人とムスリム人は独立を目指す。





ここで、まず、セルビア人vsクロアチア人・ムスリム人の構図が生まれ、ここから内戦は激化します。







それでは、この様々な民族がいるボスニア・ヘルツェゴヴィナ地方で、どうやって民族を主張するのか。


それは自分の民族が住む土地を決めればいい。
その土地は、どの民族の土地かわかる。




ここで始まったのが民族浄化


民族浄化とは、その土地にいる自分以外の民族を追い出すか、殺すこと。

そうすれば、自分以外の民族はいなくなって、そこが自分の土地だということがわかる。




民族浄化がはじまり、互いの民族を殺しあうことで、死者が続出。

元々、この地方ではたくさんの民族の血が混ざっていたので、すなわち兄弟殺し。



この時に、自分の土地に住んでいたのに追い出されて生まれたのがボスニア難民

ヨーロッパ人の難民。





セルビア人がボスニア・ヘルツェゴヴィナの7割を占領すると、今度はクロアチア人が手を組んでいたムスリム人地域の支配に乗り出す。


そうすると、今度はセルビア人・クロアチア人vsムスリム人の構図が生まれる。






こうやって、何度も敵や味方を代え、また和平案も出されるが、ことごとく破棄。

さらに停戦違反も相次ぐようになって、泥沼化していくボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。








最終的には、NATOをバックにアメリカが仲介に出ることになる。


セルビア人、クロアチア人、ムスリム人の代表をアメリカに招待。


そして、アメリカで、この代表を3週間軟禁しながら和平交渉することでやっと内戦は終結。







結果的に、200万人の難民・避難民、20万人の死者を出した、2つの大戦を除くとヨーロッパ至上最悪の戦争となる。





和平が成立した後は、この土地は、セルビア人の<セルビア人共和国>とクロアチア人・ムスリム人の<ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦>という2つの地域となる。

この2つの地域で<ボスニア・ヘルツェゴヴィナ>という国が成り立っている、というわけ。





これは1995年まで続いた新しい戦争。




ちなみに、現在あるスロヴェニア、クロアチア、マケドニア、セルビア、モンテネグロの国は民族の名前からできた国名。


しかし、ボスニア・ヘルツェゴヴィナだけはボスニア地方とヘルツェゴヴィナ地方という土地の名前からできている国




近年では、ムスリム人や、その土地で生まれた自分たちのことを<ボスニア人>と呼ぶ人も増えている。



その結果、現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナの言語は、ボスニア語、セルビア語、クロアチア語。

(ただ言語の違いは方言程度。セルビア語はキリル文字を使うといったぐらいの差。)














あー頭使った・・・。


これでもものすごく簡略して書いたので、知りたい人は調べてみてください。

とても根の深い問題です。




現在もボスニア・ヘルツェゴヴィナは、セルビア人共和国(スルプスカ共和国)とボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦からなっています。



尚、政治は、この2つの地方政体に、国際機関を含めたの3つの機関。


この国際機関は力を持っていて、実質には、国際機関の信託統治、とも言えます。








実際、セルビア人共和国とボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦は、目に見えない線があるだけで、今では人が自由に行き来しています。


紙幣には同じなのに、書かれている肖像が違う、といったものが残っています。












・・・こんなとこでいいかな・・・。


頭使うよ本当・・・。


みなさんちゃんと読みましたか!!








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僕がついたのはサラエヴォ。

バスターミナルではいきなり子供の物乞いがやってきた。



この女の子、オレがちょっとお金あげたら「あいつ金くれたよー!!」ってたくさん子供連れてきやがった!!!





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日本って本当色んな国に援助してるんです。

世界中で日本の国旗見る。

こういうことは日本人として知っておくべきだな、と思う。






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サラエヴォ街にのちょっと奥にあった墓地。

一面の墓を見たのは初めてかもしれない。










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サラエヴォの街。


ここは数々の歴史の街。


サラエヴォ散策については次回・・・。



ちなみに僕はサラエヴォお気に入りです。



















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今でも地雷が埋まっていたりします。古い建物には銃痕が。
でも、この旅で結構な上位ランキングの街。

一言:モロッコの夜は寒い・・・。
    なんでスペイン人の女の子はキャミソール一枚で寝てられるのか・・・。情熱か。

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プロフィール

あらた

Author:あらた

 小さい頃に国旗のぬりえにはまり、それ以来地理が大好きになってしまった可愛くない幼稚園児時代から全ては始まった・・・。

 世界地図を眺めていたら旅へ出てしまった、よくいる休学大学生。

 世界中を歩いて歩いて、感動したり、激怒したり、飲んだり飲まれたり、聖なる剣を探したり、手から炎だしたり、世界を救ったり。そんな僕も世界中の旅人と「よい旅を」と握手をし、2010年末帰国。でもブログはまだ続いています。

 はぁーーたまごかけがご飯がうまい。

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